カタカナ英語から脱出できない理由

英単語動画の素を作っています。

私の塾は大阪市内にあるので、
大阪府が提唱している英単語(一部は英熟語)のすべてを
フォニックスと連携させて、
可視化させる、いわゆる、
ネイティブ発音をつけて動画にすべく
なんだかんだと、毎日、一生懸命に試行錯誤中です。

その一貫として、
大型書店に足を運んでは、
中学生高校生対象の
さまざまな単語集を拝見しています。

最近はネイティブ音声のCDまで付いているんですね。

中には、ラップ調に構成されていて、
リズミカルに覚えられるように工夫されたタイプまであり、
自分が学生時代には考えられなかったような
新しい手法が提唱されています。

私の場合はipad にある電子辞書をよく使うのですが、
どの電子辞書を使ってみても
だいたいの形式は同じです。

スピーカーの形をしたところを電子ペンでタッチすると
ネイティブ音声が出てきます。

素晴らしい!


しかしです!

このネイティブ音声と発音記号とを結びつけて見ている人は
どのくらい いるのでしょう?

英単語の横にせっかく用意されている発音記号と
実際の音(音声)とが結びついている人となると
本当に限られているのではないかと思えてきます。

私のように、英単語をPCに入力し、
その単語の発音記号を根気よく入力しながら、
ちょいと休憩というときに、

「へぇー、こんな発音記号になってんのか~」なんてことを
の~んびりと、しかしながら、結構細かくシビアに観察しているなんて、
かなりな変人なんだろうな~と思っているのですが、

その作業を通して見えてきたことがあります。

日本人が英語を音としてなかなか認識できないという
目に見えないハードルを作っているのは、カタカタではないか、
ということです。

だって、カタカナって、どういうときに使いますか?

基本的には外国語に対して使いますよね。

たとえば、「コミュニケーション」というように。
それをあえて「communication」とは書きません。


「communication」は英語ですが、「コミュニケーション」とすると、
完全に日本語化されてしまい
英語という生き物が、カタカナ表記された瞬間に
日本語という全く別の生き物になってしまうのです。


このようにして、私たち日本人は、
本当に幼い頃から、英語、いわゆる「横文字」というやつを
「カタカナで書きましょう」という指導のもとで、
英語という生き物を、
日本語という生き物にすりかえてきているのです。

ところが中学生になると
いざ英語の学習となった時点で
「英語にカタカナを打ったら読めなくなるよ」と言われ、

幼い頃からの「英語=カタカナ表記」という「すり替え作業」を
もはや生理的な反応レベルでしてしまう、
ある意味で洗脳されてしまっている脳に
急に「今日からはカタカナにすりかえちゃダメですよ」と言われても・・・。

で、英語にカタカナを打っちゃだめという指導をするのであれば、
それに代わるモノを指導しなくてはなりません。

それが発音記号と英単語をリンクさせるフォニックスという
英語への導入法であり、
そして、その向こう側に、
音声と発音記号のリンクがあるのです。

このフォニックスで小学生に英語を指導すると、
不思議なことに、
カタカナにすりかえるという「洗脳」から脱することが出来るのです。

現に、私の塾の6年生は、分からない英単語が現れても
カタカナを打とうとはしません。

ちゃんと発音記号を見て正しい発音が出来るようになってきているし、

発音記号を軸にして単語のスペリングを覚えるので、

何回も紙に書かないことが多いですね。

とはいうものの、発音記号をきっちりと教えられる英語の先生って
どのくらいいらっしゃるんだろうと考えると、
自分も含めて、
「だいたいこのライン」で教えているような気がするのです。

う~ん、これでは、ナンボ文部科学省の先生方が
明日の日本人の英語教育について、

日夜にかかわらず侃々諤々(かんかんがくがく)議論をしてくださっても

いつまでたっても日本人は、英語を音としてとらえて
より正確な英語の発音なんて出来るようになりませんし、
音としてとらえられへんかったら、
お話も出来るようになりにくいんとちゃうのん?

ということを、
今日もまた、英単語動画の素を作成しながら
あーでもない・こーでもない、

あーだ・こーだと考える塾長なのであります。