三百六十五日みそしる

京都の町の一角でしたでしょうか。

 

定かではありませんが、

おぼろげながら、その記憶があります。

 

和食を提供するお店です。

 

そのお店の軒に、

不思議な一言が書かれた札が、

そよ風にもてあそばれています。

 

「三百六十五日みそしる」

 

 

 

業界では老舗で有名なのだそうです。

 

毎年、弟子入り志願者が2,3人ほど来るそうです。

 

ところが、

大抵は途中でさじを投げるようにして

その店をやめていきます。

 

なぜなら、師匠となる、

いわゆる店主は具体的なことは何も教えないからです。

 

ただ一言、

「毎朝、わかめのみそ汁と、

一膳のご飯、そして漬け物を、

私の所へ持ってくるように」。

 

弟子は言われたとおり、

毎朝、師匠の部屋に持って行きます。

 

師匠はただ無言でそれを食し、

食後の膳を取りに来た弟子に渡すだけです。

 

やがてうららかな春が終わり、

梅雨が過ぎ

夏のあつさもうつろになり、

台風の季節も過ぎて、

京都は厳しい冬を迎えます。

 

新年を迎え、

厳寒ゆるみ、

やがて春が来る。

 

それでも、師匠は何も言わない。

 

 

そして2年が過ぎようとした頃、

またただ一言、

 

「そろそろ店の厨房に立つか?」

 

 

弟子入りの試験は、それで修了です。

 

晴れて料理人として、

お客様に料理を出すことができる 、

いっぱしの料理人となれました。

 

 

この一連の意味がお分かりいただけますか?

 

毎日作るみそ汁。

 

弟子入り志願をしたとはいえ、

最初のうちは、ずぶの素人同然。

 

毎日出来や味が違っていて安定しない。

毎日気温も湿度も違う。

 

それに関わらず、

毎日同じ出来、毎日同じ味にできるか

それをひたすら続けるだけの心があるか

 

それに気づくだけの心構えがあるか

そこまで心を鍛え上げるだけの気概はあるか

 

それを言葉で問わず、

弟子が毎日師匠の部屋に届ける朝食を食し、

弟子が日々成長してゆく様子を、

無言でじっと見つめている。

 

やがて、気づける弟子と、

気づけない弟子に分かれる。

 

気づけない者は、

少なくとも、この師匠のもとでは

料理人の資格はない。

 

資格のない者は、

ただ無言で立ち去れ。

 

これが教えるということの

本来の姿のように思えます。

 

確かに、教育の世界で、

この方法が適しているとは思いません。

 

ましてやプロの料理人の世界の話ですから。

 

でも、相通ずるところはあります。

 

親御様や子どのたちの想いに耳を傾けながら、

次の戦略を練るのが、

塾長の私の仕事です。

 

ですから、

子どもさんの手取り足取り、

あるいは親御様の御用聞きでは

いけないと思っています。

 

しかしながら、

黙って塾長の言う通りにしていろという

独裁を強いているのではありません。

 

子どもたちそれぞれに個性があります。

彼らは自分の意志で手足を動かします。

 

手取り足取りは、

その自由に動かすことの出来る手足を、

こちらの意のままに動くように

仕向けるだけのこと。

 

自分の意志で考え、

自分の意志で動け。

 

そのために大いに悩め。

 

それでも答えを出せなければ、

もっとのたうち回れ。

 

その姿を傍らで見ていて、

そっと見本を見せるのが、

指導者の本来の姿です。

 

そんな無言で伝えられるようになったら、

それはそれで、すごい塾になれるよな・・・

そのために日々精進するのも悪くないかもな・・・

 

と、考えた今日一日でした。

 

あくまでも理想ですが・・・^^;

 

 

 

うちの塾生ですか?

 

自由にしていますね。

でも、こんにちは(こんばんは)、

ありがとう、

すみません・・・などなど、

基本的な礼儀をはずさない限りは、

本当に自由にしています。

 

その方が伸びるようですから。

 

 

お心に留まられた親御様は、

どうぞお気軽にお電話をください。

 

0120-109-275(フリーダイヤル)

06-6695-0181

 

平川塾まで  文責;平川 達三(塾長)