「すごい」のではなく「良い」ということ

引き続き、スーパー飛び級の

段級認定試験の合格者が出ました。

 

雨降る中をひたすらヤモリを追いかけて、

それを取っ捕まえては自宅で飼おうとするほどの

現代っ子にしては珍しい腕白少年H君です。

 

3月15日開始と記録にありますので、
3か月半というよりも、ほぼ4か月かかりました。

 

1回目は不合格でしたが、
2回目にして見事に合格しました。

 

「これ、どうする?」

自分が今まで学習してきたプリントの
半端ない量の紙の束を前にして私が尋ねると、

「持って返りたい。」

 

「700枚くらいあるよ。」

「ここに入れるから。」

そう言いいながらディパックの受け入れ口を

パカッと目いっぱい広げてニッコリ。

 

相当重たいのもモノともせず、

小柄な体に背負って持ち帰りました。

 

現在は引き続き3年生内容に入っていますが、
ここへ来てまた彼の雰囲気が変わりました。

 

というのは、ちょっと塾舎内の雰囲気が変わったのに影響された結果、
あることが微妙に変化したからです。

 

彼の「指定席」は、私の椅子に座っている姿が正面で見ることが出来る場所です。

 

 

写真の手前が私がいるところで、
モニターが置かれている席が
H君の「指定席」です。

 

写真からお分かりいただけるように、
もしモニターがなければ
お互いの姿が筒抜けになる位置関係です。

 

今までは、ここには何もなかったのです。
ですから、H君が話したいときにはいつでも私に声をかけられたわけですが、

ICT習熟トレーニングを行うためにコンピュータの増設を迫られ、

その結果、今まで筒抜状態だった場所にもモニターを置かなければならなくなりました。

 

ちょっと不便になるけれど、場所がないので致し方ないという気持ちでいたのですが、

まさかこの「衝立(ついたて)」がともすればベッタリだった私とH君との位置関係を

絶妙な距離感にしてくれただけでなく、ベッタリからサッパリにしてくれるとは

思いもしませんでした。

 

何か伝えたいことがあれば、モニターの間から顔をのぞかせるという、

話しかけるまでに一動作をしなければならないことが、

かえってその絶妙な距離感を作り出しているのに、

後々の彼とのやり取りをしていて気づかされました。

 

彼は課題のプリントを1枚終わるごとに私に届けてくれるのですが、
そのプリントのやり取りも、その解答に対する指摘も、
全部モニター越しにすることが多くなったので、

ここで顔を見合わせることがなくなりました。

 

このことで、お互いに良い意味でドライになったことが、
絶妙な距離感を保つことになったようです。

 

道具ひとつをとってみても、ホンマに微妙なものですね。

 

このことで、彼の中の甘えも弱くなってきていて、今までだと、

「2単元終えたら本日分は終わり」だったのに、

最近は1時間で進める分はどんどん進むようになり、その結果、倍速化しました。

 

「途中で苦戦するところがあると思うから、苦戦しないで進めるところは、
  出来るだけ速く進むようにしようね。」

 

すると、
「う~ん、そうなや~。文章問題になったら苦戦するもんな~。
  国語力が要るな~、やっぱり。」

 

スーパー飛び級を始めた当初は、「国語はイヤ」と言っていた子なのです。

 

私や親御様が「国語は大事なんやで!」と何度言っても分からなかったのに・・・。

 

ホンマ、子どもさんに理屈は通用しないんですね。

自分で気づかせるしかない。

 

でも、それを子ども自身に気づかせてくれる教材となると
これまた、もの凄く少ないのです。

 

これがスーパー飛び級の教材のすごさです。
「すごさ」というよりも、「良さ」です。

 

見た目はスーパー・エクスプレス「のぞみ」ですが、

中身は子どもたちにとても優しくて(「易しくて」ではなく!)、

彼らの心にそっと寄り添う教材だからこそ、

彼ら自身でドンドン気づいていってくれて、

長く続けられるのだということを、

やはり、毎度のことながら、子どもたちから教えられます。

 

 

まさしく、スーパー飛び級は
子どもたちの心にそっと寄り添う優しさで、
それでも、子どもたちを超特急で上級の学力へといざなってくれる
不思議でスーパー素敵な存在なのです。