古文へのアプローチ

古文がキライです!

徒さんの多くが古文を避ける傾向が

強いのには、次のような理由があるよ

うに思えます。

 

例えば、① 言葉や言い回しが難しい。 ② 「~したる」「~ける」などの文末に違和感がある。 ③ 誰が言っているのか、誰がその行動をしているのかという主語が捉えにくい。

 

現代国語だけでも読解問題をするのは

厄介なのに、古文もなんてなおさら厄

介だという感覚です。この感覚を持っ

ているのは男子生徒さんに圧倒的に多い傾向があります。ちなみに、塾長も学生時代もですが、実は塾を開設してからもずっと古文が苦手で避けていました。それが50歳になってから古代史のファンになり、『古事記』を自力で読み解けるようになりたいと強く思うようになってから勉強をしなおしました。

要するに、とらえ方です。

でも、ちょっと工夫をすれば、あっと

いう間に近づくことができて、上手に

解説のできる人がいれば、現代を生き

る私たちが日々の生活を通して思った

り考えたりしていることと、時代の違

いはあれど、そんなに大きく違わない

ことが分かります。

 

例えば、『枕草子』にある「にくきも

の」を挙げてみましょう(高校の教科書に掲載されています)。この「にく

きもの」とは、憎むべきもの(こと)ではなくて、思わず「ウザッ」とか「ムカつく」と言ってしまいたくなるレベルのことです。

 

にくきもの。急ぐことあるをりに来て長言(ながごと)するまらうど、あなづりやすき人ならば、「のちに。」とてもやりつべけれど、さすがに心はづかしき人、いとにくくむつかし。→ムカつくもの。急用のときに限ってやって来ては長話をする客。どうでもいいような人であれば「またあとでゆっくりとね」と言って帰せるけれど、なんと言ってもこちらが遠慮をせねばならないような立派な(身分の)人で

あればそうもできないから、本当にムカつく(にくらいしい)。「現代人でもあるある」ですよね?

共通点は「ぼやけている」こと

新規でご縁のある生徒さん、あるいは他塾さんから転塾することでご縁のある生徒さんと、いろいろとご縁があるのですが、大抵の生徒さんについて、国語に関してあることが共通しています。それは「ぼやけている」ことです。

 

高校生の古文を指導していて、高校生の古文ほどは深く脚を突っ込まない範囲ではあるけれど、一部分を中学生の古文に取り入れてみたらどうなるのだろうかというところにたどり着きました。

五ツ木の模擬テストの古文が分からない

それは、ある中学3年生の生徒さんか

ら、「五ツ木の模擬テストで古文が分

からなかった。」というレスキュー要

請があったことがきっかけでした。そこで、後述する方法でしどうしたところ、次の模擬テストでは、周囲の子たちが分からなかったといっていた中でひとりだけ難なく理解できて解けたそうです。

中学生が学ぶ古文

それで、中学生で学ぶ古文について、

教科書ではどのようになっているのか

を改めて念入りに調べてみると、中学1年生で学習するのは、『枕草子』の「春はあけぼの」と『竹取物語』の竹取の翁(おきな)とかぐや姫が出会うシーンと、かぐや姫が月に帰って行くシーン。

 

中学2年生では『枕草子』の「うつく

しきもの」・『徒然草』の序段・五十

二段の「仁和寺の僧」・第九十二段の

「ある人、弓射ることをを習ふに」、

そして『平家物語』の「扇の的」または「敦盛の最期」です。更に漢文の基礎として五言絶句・七言絶句・五言律詩・七言律詩で日本でもよく知られている杜甫・李白・孟浩然の作品、いわゆる漢詩を学びます。

 

中学3年生になると、『おくの細道』と和歌の世界を学び、漢文の基礎として『論語』を学びます。

 

こうやって見ると、古文や漢文のいわゆる古典の作品に接する機会が、かなりな数で用意されているのが分かります。

ぼやけているから、古文に近づけない

さて、これらについて、一体どこがどんな風に「ぼやけているの」のかに論を進めていきます。

 

その前に、古文に関しては、中学生の指導要領に「壁」があるのです。それは、古文の文法事項について高校の指導事項には足を踏み入れないことなのです。こういう背景があるため、中学生で学ぶ古文の文法事項は「係り結び」しかありません。

 

古文の文法に踏み込めないための対策として、現代語訳文が添えられています。つまり、初見の古文の原文を現代語訳文と照らし合わせながら、大まかにイメージを捉えさせようというわけです。この方法は決して間違ってはいません。しかし、実はここに落とし穴的なモノがあるのです。それは、「大まかに捉えましょう」というところです。だって、どこからどこまでが「大まか」で、どこからが「細かく」なのか、生徒さんには皆目分からない。まずここがぼやけています。

 

そして、8割から9割までの生徒さんが現代語訳と照らし合わせながら、といっても、ほとんど無意識に先生の解説を聞き流し現代語訳をサラリと見通して、それで終わりです。

 

こんなぼやけたことをしているのです。この状態で「五ツ木」の難解な模擬テストを受けて高校入試を受験するのです。こんなの、全くもって論理的ではない。つまり、指導者の力量に丸投げされているのと同じ。国語力が大事だと言いながら、英語と数学に躍起になり根幹の国語については二の次三の次になってはいないかと言われても弁解できません。

古文へ近づくためのサポート



中学の生徒さんは古文の文法をほぼ学んでいません(古文の文法は高校で学びます)。ですから、古文の分析については簡易なタイプでも、なかなか自力では作れませんので、こちらで作成したもの(上の画像)を作り、これを生徒さんに渡し、簡単な解説をして考えさせるように指導していきます。

表情がパッと明るくなる

国語の成績がなかなか良くならないと悩まれている生徒さんもそうですが、塾生さんもふくめて、この古文のサポート解説を見、私からの説明を受けると、ほんとうに素敵な笑顔になります。

 

「え? こんな内容だったの?」「もしかして、初めて分かったの?」というような会話になります。いえいえ、学校の先生もちゃんと説明をなさっているはずなのに。つまり、授業の席に座ってはいるけれど、脳が認識していないのです。

クリアになるとスッキリする

このような感じで古文に対してクリアになると、きらいなものが急に好きになることはありませんが、それでも「とっつきにくいな~」というバリアーを取り外すことができます。これって、古文とか現代国語とかだけではなくて、どの科目でも同じことが言えるのではないでしょうか。生徒さんをよくよく観察していると、勉強をすること自体が嫌いなのではなくて、分からないままの状態をずっと引きずっているからおもしろくないと思っていて、そのことをちゃんと理解してサポートしてくれる人に巡り会っていないことが多いというのを感じる瞬間に出会いますね。