うるさい本・静かな本

 前回の記事の派生のようなことなのですが、ワタシに読書をさせて5分以内に眠らせるのは実に簡単です。

 

 ① うるさい本。 ② 同じような内容を専門用語を並び立てられ、持論的な理屈がくどくどと書かれている本。 ③ 数式とかグラフなどがやたらと表示される本。 ④ 「エビデンス」をはじめ、必要悪なほど横文字がカタカナ表記されている本。

 

 ①の「うるさい本」というのは、おそらく急仕立てで作られただろうと推測される書籍です。概して一般書に多い気がします。今話題のことを、執筆者はとにかく方々から資料を掻き集めさせられ、充分な検証期間も許可されずに、出版社から責め立てあげられた末に書かされたのか、文章の検証もなされていないという印象を受けますし、ときには執筆者の悲鳴さえ聞こえてきそうな感じを受けます。こういう書籍の特徴は、「いかに自分の主張が正しいか」とか、「読み手のあなたは知らないだろうから、この私が教えてさしあげましょう。」といった印象を受けることが多くて、「別にあなたの解説を聞く気もないから、ちょっと静かにしてて欲しいんやけど。」という心理が働くこともあるのか、どうしても、押しつけがましい説明文章の割に説明が行き届いていないというような、いわゆる粗(あら)だけが目について、ただ単に、とにかく、うるさいだけ。私はこういう書籍を「かまってちゃん書籍」と言っています。その場限りの言い放ち、その場限りの売りっぱなし。巧妙な宣伝につられてネットで思わず買って手にした瞬間に、お金を捨てたような気にさせられます。しかしながら、曲がりなりにも書籍なので、ゴミ箱行きは気が引けますし、古書店に売ってもスズメの涙ほどもない金額にしかならないしで、こういうのを、おそらく「箸にも棒にもかからない」というのでしょうね。なので、「積ん読」候補にせずに、即座に「本棚のこやし」にして、数年後に、その他大勢、十把一絡げで古書店へと追い出します。

 

 ②は心理学の書籍に多い気がします。「~的」という表現の連続で、難解な専門用語で読者を振りまわし、専門家以外のいわゆる門外漢は入って来るなという悪意さえ感じられます。

 

 ③も①によく似ていますが、こちらは前回の記事の通り、研究と研鑽を重ねたデータを元に真摯(しんし)に書かれているものであれば、前回の通り、こちらの読書スキルをアップさせてくれる存在としての救いがあります。

 

 ④は、いかに自分に知識があるかを自慢されているような気しかしません。こういう「かまってちゃん書籍」は迷惑のナニモノでもないのです。

 

 と、エラソーに吐(ぬ)かしましたが、当のワタシはというと、作家でもなく、文筆家でもなく、ヒョーロン家先生でもありません。ずぶの素人です。だからこそ、こういった類(たぐ)いの書籍に対する免疫力がないから、ワタシの場合はアタマが即座に拒否反応を示し、最大の防御として眠らせるのです。

 

 書籍の中味は、やっぱり静かな方がイイ。なにも特別な言葉ではなくて、さりげない日常の言葉が、推敲と洗練で以て、ふさわしい場所で生き生きとしている様は、その言葉が、人の手によるのではなくて、その言葉の自らの意志でそこに存在するように思え、その崇高な姿を目の当たりにすることで、思わず引き込まれるのです。すると、ワタシのアタマの中がだんだん広くなってきて、閉じられた窓が開き爽やかな風が通り抜け始めます。

 

 こういうことに幸せを感じる読書もあってイイのではないかと、あくまでも個人的なのですけれど、思っているワタシがいます。