小学生の間に国語力を身に着けさせたいとお考えの親御様に~記述問題を解くためのスキル指導~

再現性が何よりも大切です

身近な例を挙げると、録画の再生によく似ています。しかし、学校授業・塾での指導・ZOOMでの指導は、録画しない限りはどれも1回限りで、受けた側(主役は子どもさんですね)の頭の中で全な再現は出来ません。

このように色分けをすることで、題材文の中のポイント箇所と設問部分と比べたときに、どのように書き換えられているかが分かります。この点検を受けた生徒さんは、これを見ながらもう一度自力でやり直すことが出来ます。

丁寧な記述を書かせるための指導

読解問題が苦手な生徒さんほど記述問題の答を漠然と書きます。 例えば、「問題2」の答の中にある「悪意を持っている」と書かれていますが、どんなことが「悪意」なのか具体的に書かれていません。

ただし、子どもさんは「具体的に書きなさい」と言われても、そもそも「具体的って、どういう意味?」というように「具体的」という言葉の意味自体を分かっていないことも少なくありません。そういうときにラインマーカーで書かれている場所を目立つようにマーキング。 すると、もう1回やり直しをするときもマーキング箇所が再現されて、具体的な答を書けるようになってきます。

具体的に答えられない=しっかりと文章内容を捉えていない。

答の部分をフォーカスできないで微妙にずれる。

「8割は合っているのに・・・。」・「もうちょっとで正解だったのに・・・!」というパターン。読解問題がちょっと分かりかけてきた頃の「あるある」です。問題に「30字で」と書かれているのに、その30字の部分を含むひとつの文を全部書いているとか、ちゃんと捉えているのにまとめられていないとか・・・。 

読解問題が苦手な子ほど「思い込み」が多い。

読解問題の記述でなかなか正解にたどり着けないお子さんの特徴として、自分勝手に思込んで答を書くパターンが少なくありません。「どうしてこの答えになったの?」と尋ねても答えられなかったりしますね。

点検の後に大切なのはコミュニケーション

「どうしてこの答えになったの?」という生徒さんへの問いかけについて、このせりふの中に、お子さんに否定的な意識を持たせない秘密があります。それは「この答え」というところです。「こんな答え」と言わないことなのです。確かに「どうしてこんなこの答えになったの?」と優しい口調で言うのであれば否定的な響きになりはしませんが、「こんな」という言葉には、その言葉自体に否定的なニュアンスを含むため、よほど気をつけていないと、例えば、ちょっときつい口調で言うと「こんな答え」が強い否定の響きに早変わりします。子どもさんは否定的な響きにはとても敏感ですから、そういう響きの問いかけをすると答えられなくなって口を閉じてしまいます。これではコミュニケーションは成り立ちませんね。子どもさんとコミュニケーションを成立させるためには、子どもさんに答えやすい空気を作ること、子どもさんから話させることが大切です。

記述問題を解くためのスキル指導

読み進めていくうちにはじめの方を忘れていくのは、どうして?

長い題材文を読んだとしても、読み進めていくうちにはじめの方の内容を忘れていく・・・ということが、子どもさんの場合は往々にして起こり得ます。それは、文章を読むこと自体で精一杯だからです。では、どのような手を打てばよいのでしょうか。例えば、以下の順で小さな範囲で考えていくというのはいかがでしょうか。

大抵の設問は「題材文のはじめ→題材文の終わり」の順で作られている。

題材文に対する設問は、題材文のはじめの方から順に問い答えさせるながれで、内容の把握をさせるように設計されています。超難関・難関と言われている中学校や高校の入試という特別な場合を除いて、大抵はこの設計になっています。

設問の設計パターンは次の2つ

① 問われている所の近くに答えになる部分がなくて、離れた所にある場合。

② 場所はすぐに見つけられても、そのまま書けない場合。

文中のことばを使って答える場合のスキル

上の②のパターンです。場所はすぐに分かるのですが、それをそのまま書いても答えにならない場合、つまりアレンジをしなければならないのが、「文章中の言葉を使って書きなさい」という記述問題です。実際の指導方法をご紹介します。

お子さんが苦戦する記述問題の指導例

考えもしないで飛ばしてしまうのは、次のような理由があるから。

右の文章が題材文です。それを「問2」の指示通りに書きなおさなければなりません。

 

題材文をそのまま書き写しても、問われているのにふさわしい答には成りづらいので、大抵のお子さんが苦戦します。特に苦手意識の強いお子さんであれば、この問題を見た途端に自分にはできないとなって、考えもせずに飛ばしてしまうタイプの問題です。

 

「何度も読んで、もうちょっと考えたら?」と、思わず言いたくなりますよね。では、どうしてお子さんは飛ばしてしてしまうのでしょうか。原因は、問題文のとらえ方のほうにある可能性があります。

一つの文に見える問題文。実は二つの文でできている。→分解する

「どんなマークをたよりにして、何ができるのですか」という所です。見かけは一文(ひとつの文)なのですが、「どんなマークをたよりにするのか」と「何ができるのか」という二つに分けることができる文になっています。文章を読むのを苦手としているお子さんにとっては、何をどう答えてよいのか分からないのです。つまり、題材文自体も難しいのだけれど、それよりも、問題自体の意味が分からないのです。

題材文を分解し、アレンジする。

「街角や交差点などにマークで示されている」では、答として書くにはどうもシックリしないことは、実はお子さんも感じている場合が少なくありません。そこで、お子さんに「こうするとどうかな? なんとなくシックリしませんか?」というように「街角や交差点で示されているマーク」というように名詞化させた文を見せて読んでもらいます。そして、お子さんが納得したら、問題文の語尾にあたる「~をたよりにして」にそろえるように文をアレンジさせます。ここまでが第1段階です。続いて「何ができるのか」を考えます。マークをたよりにどこへ行くかが目的ですから、「駅などの公共施設に行く」となり、こちらも「~ができる」という語尾で文を結ぶようにします。最終的に、「街角や交差点などに示されたマークをたよりにして」と「駅などの公共施設に行くことができる」を連結させれば完成ですね。

さらに詳しく・・・

中学受験を目指される親子さんへ

国語読解はあくまでも演習ですから、スポーツや音楽や図工(美術)、それに技術家庭科と同様に、まずは生徒さんに任せてみなければなりません。ただし、大切なのはこの後なのです。答え合わせをどのようにさせるのか、そのあとのやり直しをどのようにさせるのかです。

 

言うまでもなく、生徒さんに答え合わせをさせてはいても、指導者が点検すらしないのはもはや指導とは言えませんから、問題外です。その答案が小学生のものである場合は、必ず指導者が採点をします。というのは、特に漢字に多いのですが、正しく書かれていないのに「○」がつけられていることも少なくないからです。

その採点と点検の際に前述のようなことを繰り返していくと、後々になって、「家でやり直しをさせるときに役立っています」とか、「学校の書き取りテストで出て、全部書けたと喜んでいます」というお母様のお声として返されてきます。こういう瞬間はとても嬉しものです。

そしていよいよ読解です。

指導者であるこちらからの書き込みは、とにかく細かいです。特にレベルが上がるほど書き入れる内容が多くなり細かくなります。非受験の生徒さんの親御様でさえ漢字やことばの課題、あるいは、読解問題の私の書き込みを元に復習時に活用して下さっているのですから、受験を目指されていたり、受験日を数か月後に控えられている場合であれば尚更です。

特に細かく書き入れるのは「抜き書き」と「文中の言葉を使って」という、いわゆる記述問題に対してです。なぜなら、記述問題の正誤が受験の結果を左右するからです。中でも難関といわれている学校レベルの受験問題であれば、「50字程度で書きなさい」というレベルであればざらに出題されますし、ともすれば「100字程度」ということさえあります。もちろん、そう易々と正解を導き出すことは出来ませんから、生徒さんは間違えたり、後一歩なのに勿体ないという場合も多いのです。

そこで、生徒さんと一緒に行う方法が、解説を進めながら問答をすることです。この方法は塾舎でもZOOMでも同じことです。この問答を通して論理的に捉えることの概念やスキルを伝えます。

ところが、この問答はあくまでも音声のやり取りでしかないので、生徒さんの脳裏に残るのは抽象的なイメージのみで、悲しいことに、時間を経るごとに急速に曖昧になりますし、やがては「何だったっけ?」となってしまいます。

このように抽象的なイメージで残る記憶だけでは、授業後にご家庭で、しかも、その授業に立ち会われていない親御様と復習をしようにも、主役のお子様の記憶に頼るしかないことになるので、途中で忘れたような部分に遭遇すると、「何を聞いていたの?」と親御様から叱られたりしますから、必ず細かく書き入れた点検済みの子どもさんの答案を、お返しすることにしています。

 

このようにすることで通り過ぎた記憶にリアリティが生まれ、生徒さんの脳裏でより鮮明に再現され、その書き込みをご覧になった親御様にも再現されることで、お子さんが受けた授業に立ち会っていただけるのです。「まるで私も一緒に先生の授業を受けているようです。」とおっしゃって戴くこともありますが、指導者冥利に尽きるお声です。