眠くなる本・読み続けられる本

  乱読・積ん読・浮気読みにかじり読み。このどうにもこうにも褒められたものではない不躾な本読みスタイルにも、あくまでもワタシ個人の中でのことですが、ちょっとした決まりめいたものがあることに最近気づきました。大別すると2つになります。

 

 ひとつ目は、読み始めるとすぐに眠くなる本。ふたつめは読み続けられる本。「読み続ける」というのは、眠気に襲われずに読んでいられること、乱読もしないし浮気読みもしないで、ずっとその本を読みきるまで持ち歩き、珍しくも何度も読み返す本のことです。

 

 まずは、読み始めるとすぐに眠くなる本について申しますが、一生懸命に書かれた書籍に対して読み始めてすぐに眠くなるとは失礼極まりなくて何事かと、当然のことながら叱られるでしょうから、著作の実名を挙げるわけには参りませんが、大抵の場合は、次の部類に入ります、

 

① データを盾に論じられている本。 ② これまでの研究結果がいかに正しいかが主張されている本。

 

「書籍に数式を入れると売り上げ数が一桁減るから入れないようにしなさい」と、執筆する直前になって出版社から忠告を受けたと、その書籍の「はじめに」の部分でちょっとジョークを交えて書いたのは、スティーブン・ホーキング博士でした。この行(くだり)を目にしたのは、もう30年ほど前のことです。当時は「そんなもんなんやね?」という感じでした。(当時の私もまだ)若かったので、数式のひとつやふたつが書かれていても、その数式の意味なんて、てんで分からないくせに、鼻息だけは荒く、ごり押しでも乗り切ってやるというエネルギーがあったので、勢いだけで読んでいました。文字通りの勢いだけなので、「なんで?」という引っかかりもなければ、それがないものだから立ち止まることもなく、ただ「先へ」進めているだけでした。

 

 それから30年を経て、曲がりなりにも年齢だけは重ねてきていることもあり、「先へ」ではなくて「奥へ」入り込みたくなってきたのです。そうなると、理系アタマではないワタシにとっては著者の主張の裏付けとなっているらしいデータとか数式というものが助けにはならずに足かせのようになるのです。

 

 ド文系のアタマってこうも数字や数式に弱いのかと、自分の理系的頭脳の脆弱さに恨み辛みを抱きかけるのですけれど、一種の障壁のようになっていることは確かなので、はて、どうしようかと悩んでいるうちにいつの間にか寝てしまっていて、手から床に落ちた書籍がたてた大きな音で驚いて目を覚ますということがしょっちゅう起こるわけです。この原因は、著者の文章構造にあるわけではなくて、こちらの読み方にあるのです。

 

 読解や作文にスキルがあることは今更になって申すことではないのですけれど、ただ単に楽しみとして、あるいは知識を増やす目的とか、自分がしてきたことの正否とか、そういうことが知りたいときと、例えば、私が好きな向田邦子さんの著書や幸田文さんや青木玉さんの著書、あるいは司馬遼太郎さんや井上靖さんの著書などを読むときとは異なった読み方があって、どうもそのスキルが不足しているというのを高校生の現代文の読解指導をしていて気づかされたのです。

 

 小中学校までの読解問題というのは、例えば、「それは何を指しますか」とか、「そういうこと」とはどういうことか20字以内で書き抜きなさいといったように、細かいのですね。ですから、読解問題用の題材文にまるで張りつきでもするかのように読んでいかなくては正解を導き出せないことが多いのです。ところが、高校生への読解指導となると、特に論説文や説明文については、紙面に張りつくようにして読むのではなくて、やや高いところから全体を見るような意識(俯瞰的意識)で、この題材文章の幹になっている所はどこか、あるいは、枝葉に当たるところはどこかを、どれだけ素速くつかむことが出来るかというスキルになるのです。

 

 これを、自分が読み始めてすぐに眠くなる本に応用しますと、なるほど、通用するかもしれない、となります。確かに、長年の研究や研鑽を積まれた著者が根拠となるデータを元に私たち読者に懸命に伝えようとして下さっているのですけれど、データはあくまでも論じられている文章の根拠、大木でいうと、いわゆる目に見えない土の中の根っこの部分とか、幹を飾る枝葉(えだは)であるから、1回目を読むときはそれらを飛ばし読みしてから、それを根拠として出された核となる部分や結論部分だけを読み、大まかな幹の部分のイメージが己の脳裏に浮かんできたら、今度は根拠となる部分に視線を移す、というような読み方をすれば、眠気からちょっとは解放されそうな気がします。ただし、これはまだ理想論と申しますか実践する前のイメージの段階にすぎません。でも、これを試してみたい書籍はあるのです。それは、自分のウォーキングの方法がちゃんと理にかなったものなのかどうかとか、科学的に正しいものなのか否かとか、そういうことが知りたくなったので手に入れた書籍でなのすが、ワタシごときの頭脳ではあまりにも情報量が多かったり、すぐさま「障壁」が現れたりで、読み始めていきなり眠くなったのです。そういうこともあって、このスキルはぜひ身に着けたいところです。

 

 そうすれば、小説や随筆やエッセイなどを読むときの、筆者の素晴らしい表現などについて感心したり参考にしたりという楽しみを味わいながらの「じっくり読み」とは異なる方法で、読書の幅が広がるわけですから。この方法をもっと若いときに気づいていれば、ちょっとは人生が変わっていたのかもしれないけれど、こういう気づきとの出会いは絶妙のタイミングで起きることが多いので、気づけたことへの幸せをかみしめることにします。